ちょっと自分の新人時代を。
88年夏に久しぶりに専門学校に行き求人票をみました。
専門学校の2年目はお恥ずかしいことに、あまり学校に行かず、バイトで明け暮れていたというのが現実でした。
さて、久しぶりの学校で求人票を見ましたが、なぜか学校にはそぐわないIT企業からの求人が数社きていました。その時は、バブルで盛り上がっていた頃で、まあ、人手が足りない状況だったので、誰でも良いので・・・という感じでだったのかもしれませんね。
友達と、ハードベンダーのF社(上場会社)の100%出資のソフトウェア会社F社を受けることにしました。ハタチという若い年齢と怖いものが無い気持ちで、1次面接(筆記)中に採用担当者の方に、どんな人が落ちますか?どんな人が受かりますかなど、筆記も通っていないのに、色々と聞いていた気がします。まあ、すごく元気でした。
2次面接、3次面接で覚えているのは、「声は大きく」ということと、「何でもします」という言葉で合格してしまいました。
面接を行う部屋までの赤色でふわふわな絨毯は何となく、今でも忘れられない思い出です。
さてさて、なぜソフトウェア会社にしたかと言いますと、特にやりたいことがなかったので、バイトの先輩(六本木のバーの店長。その店は既にないが。)に、ここを手伝うか、一番やりたくない仕事をすれば、と言われ、本能で動く自分に一番不釣り合いなコンピュータ関係の会社にしようと決めたわけです。また、一人暮らしでとりあえず食べて行かねばならないという事情もあり、まずは面接してみるかという安易な感じでした。
そう考えると、今の新卒者の方は、業界知識も少なからずあるし、目的をきちんと言える人も多いので、すごいなぁーといつも面接時に思ってしまいます。まあ、自分のころはインターネットもありませんでしたので、調べる=本、みたいな感じでした。
まあ、こんな感じで就職できてしまったので、今の人たちには申し訳ないですが、食べるために就職をということが大前提だったような気がします。田舎に戻るとかは全然頭にはなかったですね。東京って楽しいなぁーって思ってましたから。チャランポランでしたね(^^)
その後の話はつづくかも・・・・