さて、23日から石巻市の中学校でボランティア活動をした話です。
まだ、東北自動車道も全面開通していなく、緊急車両のみ高速道路を通れるときでしたので、
どちらかというと、アポも取らず、石巻市へ行ったわけです。
まずは、石巻市役所へ行きました。
「神奈川から来ました。何か手伝えることがあれば何でも手伝います。」
ということで、話をしましたが、市役所さんの準備が整っていないというのと、
他のことで一杯一杯ということで、返事がはっきりしないので、市役所を後に
しました。
当然、物資の流通や、色んな企業さんからの問合せなどあるので、いきなり
わけのわからない人間が来て手伝いたいと言っても不信感があったと思います。
そう考えると、どこか公的機関からのボランティアで参加した方が良かったのかもしれません。
また、市役所で色んな調整を行う人を増やすべきかと思いました。
役所がネックになると、物資の流通や避難所の状況などが正確に判断できなく
なる恐れがありますよね。
そうなると、どうしようということで、今回知り合いでお母さんが石巻市の中学校に避難している
ということを思い出し、その中学校へ行きました。
中学校の受付で先生に事情を説明し、活動しても良いということになりました。
すでに、物資の流通も100%とは言えませんが、ある程度恵まれた状況で、電気・水道(一部)
が通っていました。
そこでは、市職員のサポートということで、避難者への物資の配布が主でした。
私は、体育館に居る300名ほどの避難者と寝起きを共にさせてもらいましたが、
ボランティア準備に失敗したこととしては、夜は、氷点下になり、毛布・寝袋をもっていきましたが、
全然役に絶たず、毛布を借りることに。(本当に申し訳ありません。)
後は、携帯ガズコンロと食材を持っていきましたが、学校内での火器は使用不可とのこと。
出発前に大量にコンビニでおにぎりを買っていたので、ずっとそれを食べることに。
さすがに、3日目は水分が無くなりカチカチになりました。
見かねた市職員さんが、余っている缶詰やパンをくれました。(本当に申し訳ありません)
今回は、22日夜中に明日の出発が決まり、2,3時間しか準備時間が無かったとはいえ、
もっと考えて行動するべきと反省しています。
23日に行ったときには、中学校の体育館300名は9つの班に分かれていました。
リーダーさん、副リーダーさん、掃除担当者さん、ごみ担当者さん、物資仕分け担当者さん
など、役割がきちんと決められていました。
市職員は、食糧以外の物資の配布が主で、食糧は全て、避難者さんで構成された班の
リーダーさんたちで話し合われ、配られていました。
掃除もゴミも全て、避難者さんでルール化され、活動していました。
色々と話を聞かせてもらいましたが、震災後最初の5日ぐらは、そのようなことはなく、
その後、皆で決めたということです。
きちんと組織化されていて、役割もプロセスも紙の資料は当然ありませんが、皆、頭の
中にあるという、実際の仕事でもこの短期間でいろいろと統率するのに大変なのに、
本当に統率されていて、驚きました。
本当に凄い!!
震災の時は、皆びしょ濡れの人が多く、中学校に2000人の人が避難してきたそうです。
2000人なので、各教室から体育館まで全てを利用し、体育座りで初日を過ごしたそうです。
当然、毛布も食べ物もなく、皆で体を寄せ合って暖めながら、、、子供、年配者へ毛布を貸す
若い人も、、、、
翌日、ソーセージ1本と近所の豆腐屋さんからの豆腐と油揚げが届いたようです。
お腹がいっぱいになるような量ではなかったとのこと。
3日目、4日目ぐらいから、少しずつ物資が届くようになり、そのから班を構成して、今がある
ということでした。
何もない数日を皆で一生懸命生きようとし、今でも避難者間はとても暖かい空気が流れて
いました。
他の避難所では、色々とあるようですが、ここでは、皆でこれから頑張って行こうという意思が
個人個人から感じられました。
本当に、強い意志をもっているなぁーと感動です。
つづく
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